資本輸出国になった日本 4
結論的にいえば、私は第3のケース、つまり、積極的内需拡大型が国際協調という観点からは最ものぞましいと考えます。
これはいわゆる機関車論でもありますが、ただ1978年当時とは内外の経済環境がちがっていることに注意する必要があるでしょう。
しかし、いずれにしても、ケースCの場合でも、それが成功するためには、諸国とくに日米欧諸国の協調的協力が不可欠の前提です。
1978年のボン・サミットでは、日本および西ドイツが世界経済の「インフレなき成長」のために機関車の役割を果たすことになりました。
その試みは日本の場合に、内需拡大・経常黒字縮小をもたらして成功しましたが、財政赤字を残しました。
これ(内需拡大)を財政赤字と短絡的に結びつけ、今回は機関車の役割を演ずべきでないという議論があります。
しかし、それは正しくありません。
当時と現在は石油事情もインフレの状況もまったくちがうし、当時の日本の事後処理にも問題がありました。
反省すべき点は反省すべきだし、機関車を何で動かすかという方法はいろいろ工夫すべきですが、今日でも日本は機関車の役割を果たすべきでしょう。